Miscellenious

音楽や文学についてのブログは長い間書いていたけれど、技術や経済に関する文章を書く場を作ろうという試みは、あるにはあったけれど、長続きすることもなく、この10年何もしていなかった。けれども、そろそろそういう場を作らないと、いけないなあ、ということで、このブログを立てたのが1年前だが、全くもって続くことはなかった。

別のブログでも書いたけれど、音楽や文学を語る語彙や表現は持ち合わせてはいるものの、技術や経済を語る語彙や表現を持ち合わせていない、ということが理由だと思う。

仕事で文章を書く機会はもちろんあって、それはいわゆるビジネス文書と言われるものなのだが、そう言ったビジネス文書は本当に大嫌いで、嫌な思いをしながら書いているのが事実である。

(しかし、別のブログの文章はまあまあ読んでいただいているし、そのブログを読んでくれた友人から活字紙の仕事をいただいたこともあるし、文章をプロの方から評価されたこともなくはないので、取り立てて文章力がないわけではない、とも思っている)

で、何が言いたいかというと、技術や経済に関する文章を書こうとしたときに、他のブログのように、キラキラと輝く文章を書こうにも書けない事実を認めて、私にできる表現で書いてみようと思った、ということである。つまり、音楽や文学を語るような表現手法で、技術や経済について語ってみよう、という試みである。

そこには、見出しをつけて、論理的にわかりやすく書き、目次をつけて、脱稿、というような方法論はない。あくまでこうした語り口で書いてみよう、というものだ。今は、何か、随筆のような書き方だが、試行錯誤の末、別の語り口になるかもしれないけれど、どうなるかはまだわからない。また、このブログがどうやって人目に晒されていうのかもよくわからない。ただ、ただ、書いてみてどうなるか、という実験のようなブログになるだろう。

ということで、しばらくは続けることに価値があるブログになっていくと思う。

もちろん、ブログというメディアが死に絶えつつあることはよくわかって入る・Twitterやnoteが主流の時代だ。だが、Wordpressを自分の媒体として持っているのだから、その媒体を実験場として使うという観点では、ブログとして書いていくということに意味があるとは思っている。

ということで、どなたかの目に触れる日がいらっしゃることを願いながら、今日はこの辺りでキーボードを叩くのをやめようと思う。

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上野で野口先生の銅像を発見。
私も学者になりたかった。

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夏が戻ってきた風情。
日の傾きは確かに秋で、色合いは幾分暖色気味なんだが、空の輝き、眩しい太陽、沸き立つ雲は夏らしい。まあ、雲は入道雲とはいかないけれどなんとか。
また来年の夏が楽しみだ。

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2018年4月から、普通の部署に異動になったんだが、仕事の進め方が普通で、スポイルされてしまった感がある。トラブルもなく、偉い人は定時で帰っていく。あれ、これが普通なの?と錯覚してしまった。ちなみに、私たちは、定時でなんか帰れるわけなく、まあまあ法律で定められた範囲内で残業に勤しんでいたのだが。

で、最近、普通じゃない部署に兼務で参画したんだが、普通の部署のスピード感でスポイルされてしまった私は、今現在、いまいちな感じになっているとじかくしている。

やれやれ、もっと仕事のスピードをあげないと。質はスピードについてくるから、という感じ。

このスピードの感覚を帰宅しても維持しないと、なんてことを思ったり。人生半分ぐらい終わっているような気がするから、残り時間でできるだけのことをやるためにはこれぐらいのことはやらないと。

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 はじめに

Shushiとして活動を始めたのは、2003年秋のことだったと記憶している。まだ新宿に青山ブックセンターがあったころ、ウェブログ入門という本を見かけた。衝撃だった。

1998年頃からいわゆるホームページを作っていた。先輩が言うには「毎日書けば、アクセス数があがるもんだよ」ということで日々の雑感を書いてはアップロードしていたのだが、テキストエディタでHTMLを書いて、FTPでアップロードするという作業が面倒だと思っていた。

ところが、ウェブログでは、こうした日記のような日々のアップロード作業から解放され、ウェブベースで作業が完結する。日々、文章を書く行為に専念できるというわけだ。これは画期的だと思った。

当時、新宿の青山ブックセンターで購入したウェブログ入門。

と言うわけで始めたのがMuseum:Shushiというブログだった。

ブログの歴史に思うこと

2003年当時は、Movable TypeをXREAという無料レンタルサーバーを借りて導入しスタートした。Movable Typeは当時のブログ界のスタンダードといってもよいブログシステムだった。

当時、言われていたのは、「誰もが自分のメディアを持てる」という言葉で、この言葉に、何か民主的なネット社会が発展していくのではないか、という希望のようなものを感じたのことも覚えている。ジャーナリストだけではなく、一般市民も自らの意見を体系的にウェブ上で発表できる、というスキームは、魅力的だったのだ。

その後、2005年ごろのブログブームを頂点にして、徐々にブログはその役割をtwitter、Facebook、noteなどに譲っていった。ブログも商用となり広告が多く表示されていた。もちろん、ブログを作るのも維持するのも無料というわけにはいかないから致し方がない。

また、企業サイトが作る「ブログ」が何か空疎でアリバイ仕事のようなものになっていくのもなにか寂しくあるいは違和感を感じながら見ていた。「ブログ」が、まるで在来のメディア、まるで新聞広告のそれのようなものへと変貌していったのだ。

だが、それでも、こうしてWordpressのサイトを持てるというのは、なにか充実感を感じる。ウェブ空間上に自分の家あるいは店を持っているような気分になる。twitterやFacebookは、たしかに利便性も良いし、誰かとつながることが簡単にできる。しかし、自分で色合いを決めたり、レイアウトを決めたりする自由というものは時前のWordpressサイトに勝るものはない(かつては、HTMLやCSSを自前で書いていたこともあった。その頃に比べれば、自由度という意味合いも変わっているとも思うけれど)。

と言うことで、私は以下のブログを運営している。すくなくとも2007年〜、だから、12年は続いている(2019年時点)

Museum:Shushi

文学、音楽、芸術について書いているブログ。2003年から前身となるブログを書き始めた。2007年にFC2に引っ越し。2008年に独自ドメインを取って移った

https://museum.projectmnh.com/

このブログ、最近は少し書く時間がとれなくなっている。仕事が忙しい、というのがその端的な理由だ。だが、おそらくは、このブログは死ぬまで書くと思うし、ここから新たな可能性をつくりだしたい、と考えている。

チョウチョウウオの魅力

このブログは実に異色だ。一時期、チョウチョウウオにはまりきったことがあった。もう10年以上前のことだ。その時に集めた写真を載せているブログだ。見果てぬ夢として、南の島に住んで、チョウチョウウオのことばかり考えて暮らす、と言うのがある。代わりに、このブログでチョウチョウウオのことばかりを考えてみたいと思ったのがブログを創った理由だ。まだ全体構想の途上にも至っていない。

http://butterflyfish.projectmnh.com/

最後に

まずは、こうして現在の活動をまとめてみた。ずいぶん長い時が経っていることをあらためて感じた。歳を重ねるにつれて、時の流れの速さに驚かなくなると言うが、逆に、気づかぬうちに、過ぎ去るものはすぐに手の届かないところにいってしまう。

ブログとは、さしづめそうした過ぎ去るもののうちいくらかを、記憶にとどめることに他ならない。さらには、その過ぎ去るものを世界と共有することで、失われる時をいくばくかこの世に保つことに他ならない。

おそらくは、先にも書いたように、何かしらのコンテンツを、瓶に詰めた手紙を無人島の浜辺から海へと送り出すように、死ぬまで日々書いていくことになるだろう。

Shushi